華麗なる戦い その装備

posture Toshihiko Nakamura

競技ダンスにおける華麗なる戦いにおいて、その装備とは?

衣装を思い浮かべる方が多いでしょうね。

でも私が今回お伝えしたいのは「ポスチャー」(姿勢)なんです。

ポスチャーはとにかく非常に効果の高い武器であり、防具です。

そしてこの装備を持たないものは多くの審査員にとっては出直してきなさいと言いたくなる対象と言えます。

現状、ポスチャーの意識レベルが高くない日本

ダンスの競技会は比較対象によって審査されるもので、順位をつけるのが目的です。

他と比べた結果の勝者である以上、様々な要素においては必ずしも高いレベルにあるとは限りません。

ポスチャーはアクションに影響されて乱れが出やすいのは当たり前で、クラス分けされた競技会では下位クラスほどポスチャーのレベルは全体に低いため、それ以外の要素での差によって順位がつけられやすいと思います。

問題は、そうした競技会を繰り返し成績を挙げていき、学連などを経て指導者になっていく者も自分のダンスも含めて最後までポスチャー以外の要素への意識ばかりが高くなっていることです。

指導者が指摘しない限りは、姿勢が良いまま踊れたほうが良いという認識はあくまでも知識の範囲で、それ以上ポスチャーへの努力には向き合わない。

日本の選手の多くが海外の競技会であっという間に落とされてしまう原因の一つです。

ポスチャーが良いことがどれほどの事なのか

実際、日本ではアクションやムーブメントなど他の要素に優先的意識がいっている人だらけ。

そこで私が指摘したいのは、もったいないことに武器にも防具にもなるポスチャーを装備しないせいで、今現在のライバルたちと同じくらいのダンスレベルに留まってるんじゃないですかってこと。

皆さん現状より上達するために、特別ひどいポスチャーじゃないならば、もっとスピードとか、大きく動くとか、二人のコネクションが、とか考えるでしょうね。

ここで、踊りの中でポスチャーが崩れないように、そこそこ気を使って練習を積んだ人が1次予選のフロアに入ったとしましょう。

おや、なんだか特別なステップしなくても目に入ってくるんですよ。

だってダンスが始まった途端に、ポスチャーの維持しない人が多いんですから。

そして、何人かの観客は思います。あ、この人ファイナル行くんじゃないかなって。

この段階で、このダンサーは8割方、セミファイナルには行けます。予選の早い段階で他との違いが観客に見えるのは上位に上がる魅力を持っているからなのです。

この現象は海外で競技者レベルの高い大会においても見られます。

予選の早い段階で他とは違う空気感、間を感じさせるカップルが2、3ヒートに1組くらい現れます。

彼らのポスチャーは絶対に美しさを保てています。そして私たちはなんとなく感じる。

セミファイナルには入りそうだな。

この印象はずっと選手を後押ししてくれます。ドレスより顔が見えてきて記憶にも残る。

つまりポスチャーの維持というのは、努力したら存在感が変わって成績にもつながる大事な要素だということです。

国内のクラス戦などならば、ちょっと意識しながらの訓練をして、アクションとポスチャーを両立でき始めたら、ライバルをごぼう抜きできるのでは?

そこまでポスチャーをしつこく言われずにいたのは

上手になりたくて、来日してる外国人のトップダンサーを見たり、動画を検索して何度も見た経験はあるでしょうか?

どこに目が行くってもちろん動きです。音楽性です。表現力、コネクションなど二人の関連性、身体能力等々幾つも挙げられます。

その見方がダメではないですけど、そう見えるという部分に秘密もある。

芸術家の方の話で、表現の為の技術を極めて高めていった先では、その技術そのものは透明なイメージで見えなくなる感じだというような内容を聞きました。

私もダンスの表現でまさにこのような感覚があると思っています。

ポスチャーを整えて踊れるように自分を高めていった時、もうポスチャーの良さは目立ってこないのです。

見えてくるのはその表現力と個性を伴ったアクション

つまり憧れて然るべきトップレベルの選手ダンスを見た時、その美しいポスチャーはむしろ、足下やボディアクションに二人の関連性などを更に目立たせる結果となり、見るものの意識はポスチャーに向かわないのです。

分かる人にしか見えないものを本当に纏って(まとって)いる王様

クオリティの高いポスチャーになるほどクセなく自然で、勝手にアクションが人並み以上に目立つ。

そう、美しく磨かれたポスチャーはそれ自体の主張ではなく透明に昇華するイメージです。

指導者も含めて、ポスチャーを極めていこうという努力をしたことのない人には、アクションしか見えない。見えてこないポスチャーというものを纏っていることに気がつけない。

そう、裸の王様の逆バージョンは実はあるんですよね。民衆が愚かだというパターン。

ただしこの場合の王様はダンスがよく見えるので、誰もが素晴らしい!という評価はもちろんできます。でも、素晴らしいポスチャーが身についてる事を空気を見るかのようにして記憶できない。

となると中には、ガムシャラに踊った人のアクションが激しさと、整ってコントロールされて際立つアクションと、どちらも甲乙つけ難いなんて恐ろしい判断する人も出てきます。

もっとダンスが見えてくる

国際大会で準々決勝くらいになると、みんながハイクオリティなポスチャーを崩さずに踊れます。

どうなるか。

観客はポスチャーなんて気にしません。激しくコントラスト、緩急の効いたアクションだけが個性として目に入ってきて我々を楽しませてくれるのですから。 ダンスそのものと表現がみえてくる。

それを知らずにアクションやコネクションで勝負するのだと勘違いしている選手がやたらと多いのが日本の現状です。

普段から出ている競技会では

普段のコンペや最近の動画を送るオンラインコンペではどうでしょう?

運動を見せつけようとガムシャラな人はたくさん。フリーアーム動くたびに肩が前に出てきたり。

この状況からすると、あなたのポスチャーの伸びしろもたっぷりあるのではないですか?

リアルな競技会で大勢と同じフロア上では、スッキリした姿勢はそのまま魅力的な空気感を伴います。

オンラインコンペなら、迫力ではごまかせない体のラインが はっきりします。

周りのライバルたちのポスチャーも悪くないかも。でもそこそこ綺麗という程度なら、今がチャンスですね。

さあ、ポスチャーを装備して、あなたの体の美しさを強調、他とは違う空気感を身につけましょう!